34.ぐる〜り紀伊半島
2015.05
5月ゴールデンウイークの混雑を避けて尾鷲、御浜、那智勝浦、串本から本州最南端潮岬をぐる〜り、
白浜町、日高町、新和歌浦を経て開創1200年の高野山参りの旅です。
熊野市 鬼ケ城 | |||||
道の駅 パーク七里御浜 | |||||
七里ヶ浜でモーターパラグライダーが気持ちよさそうに飛んでいた |
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那智の滝 熊野那智大社 | |||||
三重塔と那智の滝(しめ縄も見える) 落差133メートル日本一の瀧です |
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下から見上げる那智の滝 |
三重塔 |
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熊野那智大社と青岸渡寺は並んでいる、また西国一番札所でもある。 |
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串本 橋杭岩 | |||||
R42号線に 道の駅 くしもと橋杭岩が開設されています |
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今は干潮時、小高い山が弁天島、徒歩で渡れるそうです |
次の日の朝満潮、橋杭岩は海に浮かんでいた、日の出が美しい。 |
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大島 本州最南端潮岬 | |||||
潮岬灯台 本州最南端に位置し北緯33度26分15秒 東経135度45分16秒 海面から灯火まで高さ49.47メートル 明治3年仮灯火、明治6年に 本灯火、初期は木造の灯台だったそうです |
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灯台の中を見学できる |
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大島の東端にトルコ記念館が有る エルトゥールル号殉難将士慰霊碑も有り樫野灯台も有ります。 |
今は大島に渡る『くしもと大橋』があり車で渡る事が出来る 左側が大島、右手は潮岬(串本から渡る巡航船はもう無いのかな...?) |
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エルトゥールル号の悲劇とトルコ政府の恩返し 1890(明治23)年秋。はるばるトルコから明治天皇の表敬訪問に来ていたオスマン帝国の軍艦が本国に帰途途中、 台風に遭い、本州最南端の串本沖で船甲羅(ふなごうら)と呼ばれる岩礁に乗り上げた。 エルトゥールル号は大破沈没し犠牲者587人。そして生存者69人。この時救助に当たったのが樫野地区の灯台守と住民達でした。 生存者を日本海軍の船でトルコまで無事送り届けてはや、沈没から120年になる。 時は流れ、1985年3月17日、イラン、イラク戦争が勃発イラクのフセイン大統領は「今から48時間が経過したらイラン上空を飛ぶ航空機は撃ち落とす」と宣言。 イランの首都・テヘランを脱出しようと日本人は空港に急いだ。しかし、日本は自衛隊の救援機を出せなかった。 空港にいた265人の日本人はパニックに陥った。 その情報がトルコ首相の耳に入り緊急会議が開かれ時間が迫るなか航空機がテヘランに到着する。 そして日本人向けのアナウンスが空港に流れる。『救援機が到着しました...!』。タイムリミットの75分前だった。 日本人は無事イランから脱出する事が出来ました。当時の新聞にも大きく報道されたのを思い出します。 トルコ政府はエルトゥールル号事件を忘れていなかった。90数年経ってその時の 恩返しが出来たと云ったそうです。 |
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イノブータンランドすさみ 白浜温泉 三段壁 | |||||
三段壁、この岸壁の中をエレベーターで下りると熊野水軍番所小屋と洞窟が有ります、水軍の船が洞窟の中に隠されていた。 洞窟の中を打ち寄せる波は圧巻、しぶきでビショビショに...また潮吹き岩がいくつも有り波が来るたびに吹き出す。 洞窟の中に牟婁大辯財天(むろだいべんざいてん)が祀られている。 |
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三段壁展望台 |
目も眩むような絶壁 |
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洞窟の中を打ち寄せる波 |
熊野水軍番所小屋 |
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日高 道成寺 | |||||
安珍、清姫の伝説で有名な道成寺山門 |
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本堂 |
歌舞伎でも有名な『娘道成寺』を演じた役者たちでしょうか? |
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安珍、清姫の伝説物語 |
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新和歌の浦 | |||||
新和歌浦湾 穏やかな湾です |
新和歌浦漁港 次の日の朝、この漁船は湾の中で漁をしていました シラス漁なのかイカナゴ漁かは解りませんが...二隻でのトロール漁船 |
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道の駅 紀の川万葉の里 開創1200年の高野山 | |||||
道の駅 |
紀の川 |
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高野山金剛峰寺前 駐車場から、開創1200年の行事で随分と賑わっていた。 標高900メートルの山頂盆地に壇上伽藍と称する聖地が有る、奥の院には20万基を超える人々のお墓が有るそうです。 |
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