境界と筆界
境界と筆界
土地は一見して区切りがありません。自然のままだとどこまでも続いています。しかし、所有する限界を定める上からは、非常に不都合が生じます。そこで明治初年から国の事業として、海や川の地形を取り込んで「地番」を定めて区切りを付けました。これが登記法上で「筆界」といい、一般的には通称「境界」と呼ばれているものです。筆界と境界が合致しているときは差し支えありませんが、複雑な筆界の土地は隣地所有者同士の合意によって、利用するのに都合の良い形状で区切りを定めています。これも「境界」と言われています。 ところが、個人間で承知したものであっても、筆界は変更したことになりません。例えば筆界線が、凹凸や出入りの多いノコギリ状の土地であった場合、都合が悪く不便です。そこで隣地所有者同士で協議して直線的な境界を決定しても、利用するには差し支えないのですが、このように筆界と境界が異なる場合には、登記手続をしないと筆界と境界は同一にはなりません。同一のものとさせるには、分筆し相互に突出部分を交換して、合筆する必要があります。 権利を明確にするには常に注意して、筆界と境界を同一にしておく必要があります。詳しくは土地家屋調査士にご相談ください。
★ 境界変われと筆界変わらず ★
筆界物語
筆界がはじめて設けられたのは、明治初年に実施された地租改正事業であると言われています。 すなわち、時の明治政府はわが国の近代化と財政的基盤固めのため、廃藩置県を断行し、土地の売買を自由にし、地券を発行して所有者を確認するとともに、地租を徴収する地租改正事業を推し進めました。 この事業の一環として、全国的に1筆ごとに土地の検査・測量(「地押丈量」といわれています。)して地図を作製したのです。 この地図は、俗に野取絵図(改祖図、字切図、字限図、字図)と言われ、明治6年から14年頃までに作製されました。 しかし、この野取絵図は、測量技術も未熟で、脱落や重複しているものもあり、明治20年から22年にかけて再調整作業が実施されました。この作業で作られた地図が地押調査図または更正図と称されているものです。 この地押調査図は、明治22年土地台帳規則が制定されたことにより、土地台帳附属地図として正本は税務署に、副本は地元市町村役場に保管され、その後、台帳事務が登記所へ移管された昭和25年以降は、登記所で俗に「公図」と呼ばれ、現在まで保管されています。 その間、昭和5年に土地台帳制度の廃止に伴い公図は法的根拠を失ったとも言われていますが、わが国では地籍図等が作られたごく一部の地域を除き、土地の位置・形状、つまり筆界を明らかにした地図は、この公図のほかにありません。そのために明治時代に作られた古い地図にもかかわらず、その後の分・合筆に伴う修正をして、今日なお筆界を表示する地図として大中に保管され、登記事務を処理するばかりでなく、不動産の取引や訴訟の証拠資料等として広く利用されているところです。
★ 筆界100年公図が守る ★