句集 櫨径 (1)  平成5年9月発行

春(25句)
梅香るそぞろ歩きの十三夜
鴬の鳴き渋りてや戻り寒
かがり火になごり雪降るお水取り
近寄れば辺り一面土筆かな
春五十数えし妻の愁ひかな
椿落ち地に咲く紅となりにけり
暮るゝまで明日を恃まず雲雀啼く
カンと鳴る球の行方に白木蓮
もう咲いたよと母の知らせの山桜
花も人も影となりゆき月蝕ぞ
この桜今年かぎりにダム湖かな
庭隅に採り残し置きすみれかな
菜花咲く路で立ち喰う五平餅
強風の去りし朝や木の芽吹く
須弥壇に亡母(はは)納まれり京の春
遍路笠買うて谷汲下りけり
海鳥の潜りてしばし春の海
謎秘めし宇宙に宿る朧月
おばろ夜や人の香もあり高瀬川
つき抜けて空にポプラは萌え出でり
飛び立ちてまだ餌もとれぬ雀かな
舟ひとつ霞わたるや与謝の海
リラの香のふと頬なです春の闇
退社時(ひけどき)のこの明るさよ遅日かな
春雨を門にとどめよ石清水


夏(34句)
菖蒲湯にゆったり老躯ひたしけり
新緑に夢はせ仰ぐ大雁塔
新緑に風も青めく鳳来寺
夏場所や早ひと歳せのふれ太鼓
青嵐や農夫の背中(せな)に栗の花
杜若白きも交ぜて雨裁ちぬ
穴子でも明日は大物夢尽きず
花菖蒲川面に旅の眠りかな
サルビアの緋燃えたちぬ夏兆す
久々に帰りたる子に豆ご飯
紫の(うなじ)伸びたり花菖蒲
そらまめをつまみて飽かず文化論
紫陽花の色香映せし夜光杯
ジョギングの朝つゆかろし涼し夏
父母の忌のあいつぐ頃よ螢飛ぶ
紫陽花に雨宿りせむ蛸牛
去りがたき峡の日暮や合歓の花
蝸牛(ででむし)やいまに落ちるぞ濡れ葉の端
水番に白鷺立てり草香る
紫陽花の花房(はな)を射ぬくか雨烈し
暮れなずむ山路に灯る合歓の花
梅雨空を裂いて明かすや稲光
世の流れ梅雨明け時と夢重ね
梅雨晴れてひときわ暑き蝉しぐれ
ナスの花鉢に咲くころ祖母偲ぶ
墓石に豆青蛙憩いけり
女ひとり祇園にいそぐ宵囃子
虫干して妻は日陰にかけ込みぬ
星の海泳ぐ緋鯉やなに思う
向日葵や吾も日の出を拝みおり
油照りさゆらぎもなし庭の木々
朝顔と日除けを競い芋の蔓
納骨の僧立ち去りて蝉しぐれ
夏果てぬ逢ひたき人に逢へずして


秋(31句)
迎え火や焚いて老女の静まれり
水盤に鷺草ゆれて秋立ちぬ
鬼灯を手折りし妻は何思う
日光の老杉深く法師蝉
秋に逝く人や念珠のうつくしき
名月や二の句続かぬ初句会
野洲路は芙蓉ほのかに石の蔵
萩ゆれて何かせかるる小夜の風
むらがりて畦の細さや曼珠沙華
野分き過ぎ落ちしリンゴのうら悲し
コスモスや白花ばかり月に揺れ
京極の名残も佗し萩の寺
鳴竜の堂内に満つ秋の昼
長月に寄り添う影や老夫婦
つかのまの秋陽にも酔う野花かな
名月やこおろぎばかり頻りなり
ベゴニアの艶やかにさく伊豆の秋
水槽にメダカ眠るや夜半の秋
目覚むれば木犀匂ふ闇の奥
星明かり船音弾む揚子江
範頼のあはれをよそに秋の古寺
海よ凪げ伊良湖より今差羽(さしば)発つ
狼山(ろうざん)の僧の衣の紅葉かな
萱葺きの屋根におおいし赤紅葉
菊の宵かほる主の心映え
深々と呉王眠るや秋の塔
牛若を気どる鞍馬に霧の雨
日おもての紅葉に映える東福寺
松手入れ済みたる枝に鳥一羽
行く秋を惜しむが如き柿一つ
熱き茶に眼鏡曇れる夜寒かな


冬・新年(37句)
枯れ尾花わが身重ねて月見酒
櫨紅葉ふれあいなから落ちにけり
笈摺に時雨かかりて道遠し
冬陽浴び煙るとまがふこけら茸き
寒靄に朝声おどる魚の市
帰り花うれしきことの二つ三つ
雪吊りの緑冱てつく兼六園
ふるさとの蜜柑にあふれ親心
五条坂師走の声を抜けにけり
初雪のもみじにそゝる色の映え
梵鐘の音色に舞ふや冬紅葉
ワイン飲み演歌唄いて年忘れ
枯葉踏み小走りに行くけやき道
吾子唱い妻と携う第九かな
年移る鐘待つ闇の探さかな
流るゝはいのちなりけり去年今年
衣浦に波煌めきて初日の出
(ひよどり)の声三朝の風を裂き
元朝の身ぶるいひとつ水垢離
甘酒にほの暖かき初詣
雑踏も静けさもあり初詣
新しき落款眩しき筆初め
新玉の年に願いて雪催い
初釜や松風に恥む子らの声
今年また蝋梅香る年賀径
子ら去りてひび割れすすむ鏡餅
餅花のはじけて七草迎えけり
人影のホームに凍てて月寒し
鈴掛けの鈴のみゆれて寒き朝
この土に禅師眠れり京の冬
己が影細るがまゝに冬木立
冬枯れの庭に小菊の凛とあり
月冴えて石径氷る謡かな
人の世のはかなさ映す矢鴨かな
窓越しに裸木見つつ春を待つ
遠吠えも大地も凍てる冬の月
敷き石に寒さを刻み春近し

第1集 完