句集 櫨径 (2)  平成6年10月発行

春(31句)
雪解けに揺らぐ陽ざしや知多の春
如月や閉ぢしまぶたに陽のこぼれ
暗がりもいとわず匂う沈丁花
紅梅や窓辺を照らす宵の月
葬送の寺にほころぶ白き梅
点々と川に沿いたり残り雪
石畳土わずかにて木の芽吹く
過ぎし日の百夜通ひや赤き梅
(小野随心院にて)
旬の香を夕げに運ぶ木の芽うど
頬杖の如意輪も待つ桜かな
(醍醐にて)
笑み絶えぬ乙女が手折りしすみれかな
歳一つ重ねて今日の桜かな
法螺貝の僧に譲りぬ花の道
(醍醐にて)
花暮れて巡礼霞む山路かな
並木道とだえて急ぐ花帰り
花弁(はなびら)を無残に散らす轍かな
寺屋根を吹かれて走る落花かな
花吹雪ひとひら口に雀跳ね
老桜の花終えてなほ超然と
(薄墨桜)
釣人の浮子(うき)揺蕩(たゆた)う菜花かな
航海の果てに着きたり春の海
鐘過ぎて躑躅しずまる水月寺
ムクドリが後にひょこひょこ耕転機
野は人の去りて雲雀の夕まぐれ
北向きを片参りして春深し
(信濃別所温泉にて)
春雨や孵りし稚魚を見るこゝろ
大原や蝶にゆだねし岐れ径
帰る子の黄帽子舞えり躑躅道
菜の花を川面に留めて春駆けり
お遍路に出逢う伊予路や二人旅
リラ咲くや旅の乙女の薄きシャツ


夏(37句)
柳生坂若葉の底を過ぎにけり
耳順年集へり初夏の琵琶湖畔
若葉風乳母車にも鯉の幡
清水へ匂ふ軒端の初夏を縫ふ
ゆったりと白傘さして若葉影
ひとり逝く老婆の庭の牡丹かな
いにしへのひとの香りや燕子花
(無量寿寺にて)
旬をすぎ娘の入れる新茶かな
酒もあり友に見せばや燕子花
寄り添いて花びら垂れるかきつばた
枝豆の土の香りや偲ぶ味
三河路も終りに近し燕子花
手裏剣のかすめて行きぬ夏つばめ
茄子ひとつ生りておりしや去年の鉢
くちなしや香の立つ方に葉隠れて
(くちなし)に新仏壇も香りよし
雨あとの土塀長々ゆすらうめ
紫陽花や雨と地蔵が似合いけり
鑑真の弟子と申せり花菖蒲
梅雨寒や食物連鎖稚魚に見し
山里に色こぼしたる花菖蒲
ほうたるこい宵闇に舞う子の浴衣
むらさきに暮れて菖蒲の村社
螢狩り夢幻無明のほとりまで
二つ居て闇和ませる螢かな
黄すげ早や盛り過ぎけり霧が峰
暁に佛宿るや蓮の花
父の背に在りし薄暮や百日紅
お岩木に緑の瀧の糸桜
てっせんもはや散り散りの夕日かな
篝火を闇に溶かして木曽の夏
夏甲田まんじゅふかしや地獄沼
後ろまで夕焼け空の思い切り
渇水や青田抜けゆく給水車
雨を待つ声なき蝉のむくろかな
峠越ゆ哀史は遠く夏木立
(野麦峠)
外灯に刻を忘れし蝉の声


秋(25句)
朝の葉に雫光れり原爆忌
隧道の抜けし故郷潮の盆
選られし菊芽の柔き手触りよ
この堂宇寄る人もなく秋の蝉
電線に交ふ鳩や秋の昼
名月を一夜遅れの名残かな
待宵の月あおぎつつ門に着く
白々と秋を落とすや那智の瀧
川沿いの見知らぬ道や秋の暮
中仙道コスモスまねく九十九折
芋売りの老婆コスモスほめちぎり
吹かれ来て髪にもつれり秋の蝶
白浪や伊良湖に低き鵯の群れ
木犀の香り何処とまわりみち
居眠りをくり返しては夜なべかな
式年の檜香新たに神の森
(このみ)盛る籠に漏れけり虫の声
雲ながれ行基が丘の秋澄めり
銀杏を嚼みて嵯峨野の紅葉かな
この道のいずこに果てぬ余呉の秋
人情のかけはし渡り恵那紅葉
秋寒や藻より育ちしゾウリムシ
恵那を背に妻籠の宿のつるし柿
かさこそと櫨葉かけっこ秋深し
かの人も暗越えし菊日かな


冬・新年(28句)
樹々の葉や車の疾風(かぜ)に散りて舞い
遷宮の木の葉の舞や雅かな
初霜や我を残してバス去りぬ
葉の落ちし欅木立を編む日差し
ぴらかんさ雪間に紅き息吹かな
ほどよくも夜来の雪の如庵かな
小春日や街路樹すでに棒のごと
白き斑に如庵のわびや師走かな
冬陽はや生駒に薄し隠れ寺
融雪の御簾の彼方の木曽の山
(犬山城にて)
冬草や老母の杖を支えけり
五十路来て槌振る妻の背に冬日
崩るゝや水面しぐれし金閣寺
七草の粥の加減に愁う時機(とき)
有明の月芒青く凍えけり
冬陽浴ぶ暮れし渡月を嵯峨へ抜け
寒鯉は幻のごと深みにて
寒菊の菩薩に侍して凛と立ち
独り居てグラスに映す赤い雪
粛粛と冬田の径や月蒼し
寂しさの淵を抜けてや鳩の声
冬の池は水面の景色(かげ)を損なわず
旅人の風に道問ふ冬野かな
吹雪つき光芒の大蛇(おろち)鉄路ゆく
岩垣の雪打つ僧や蔵王堂
今朝方はつい手袋を忘れ置き
空青し雪の隠れる小径ゆく
鬼は外まく豆にこめ春を待つ

第2集 完