句集 櫨径 (3)  平成7年10月発行

春(25句)
立春の卵のすくと立ちしとき
大地震の町にも来たり梅の朝
梅の香も(のた)まい居るか聖堂
梅咲くも古里遠くなりしかな
被災地へ届け梅の香春連れて
初春の孫に似し雛探しおり
鏡花碑を梅香(ふす)べる雛まつり
このみちもわずかに明し雛の宵
震災の傷み残せり流しびな
啓蟄や妻子手にするにぎりめし
雪淡しこおろぎ橋の花一輪
ほのぼのと遍路つつみて春の雪
職退いて路はるばるの花蕾
春風や無縁仏に散る桜
振り仰ぐ人それぞれの桜かな
花浴びて祭抜けゆく馬の面
ひとひらの花びら浮きし甘茶かな
御者の指す榛名(はんな)の山は春かすみ
駅ふたつ地に出て歩まむ桜どき
振り仰ぐ花に溢るる生命かな
七曲がり八随道を抜け春霞
目覚めたる山は辛夷の信濃かな
疎開せし伊香保の春を訪ねけり
休みごと寺ぬかるみて落椿
新芽喰む玲羊(あお)と出交す谿の径


夏(45句)
葉桜の水面乱れし鯉の鰭
散るバラや咲くバラありて安堵かな
鯉のぼり風は新し歴史館
蕗の束縁に並べて山の客
梅雨近し父の手植えし木々けぶる
紫陽花や簾越しの紫青(あお)の艶やかさ
枇杷の葉の雨だればかり昼下がり
長雨を仰ぎ飲みほす水芭蕉
おや蛍ここの辺りは恙無し
動くともなく梅雨の浜名の白帆かな
熱帯魚知るやしらずや梅雨の寒
梅雨の堂いでて奈良坂下りけり
独鈷湯も梅雨にけぶりて桂川
陽永し畦に枯れゆく早苗かな
梅雨晴れ間過去をつなぎし取り木かな
御柱(おんばしら)夏空突くや諏訪大社
露天風呂梅雨の晴れ間に飛ぶ蛙
長梅雨の捨てたきものゝ多さかな
訪ね来て仏は草の住居かな
庭石に雫はじける梅雨晴れ間
残り香や歩みとゞめる薔薇小径
時季ずれの間垣に一輪薔薇のぞく
夏蝶と別れリフトの客となり
シャワーきてワイキゝ浜の水着消ゆ
異国僧音羽の滝に禅の時
幾夏を経て約束の上高地
空蝉を一輪挿しに添へにけり
清滝や涼の箸さす竹の中
夏草に埋もれし墓や蝉時雨
陽の落ちて声の聞こゆる大暑なり
雪五尺訪ぬる里も大暑かな
(一茶 古里)
道端の甕もひしゃげる暑さかな
向日葵の迷路くぐれば日は暮るる
炎天を総身に受けり百日紅
番犬もたゞ臥すばかり酷暑かな
緑あせ蝉も哀れや腹向けて
かけのぼり二階からみる遠花火
其処此処に蝉の骸や五十年
消ゆるものみな美しき花火かな
屋根上に小さく膨らむ遠花火
客遅し手花火持ちて子は眠り
夕夙に声なき町や遠花火
夕焼けや阿寒の湖の親子鹿
そそくさと葉焼け並木を蟻駆ける
山の宿まわることなし扇風機


秋(28句)
かげろうも葉裏に沈む残暑かな
初盆の母のカーテン揺れてをり
黒松を伝って顔だす牽牛花
お施餓鬼の扇の風に経が乗り
ひぐらしの峠に憩ふすみれ塚
墓参り突如静まる法師蝉
満月の湖水に渡る風さやか
ひと筆の白漂へり秋飛行
ふるさとは風もやはらか秋茜
名月や影と三人の宴かな
人肌の爛めぐりきて秋を知る
眸張りみどり児見入る赤とんほ
蕎麦の花ふと思ふ祖母逝きしこと
台風の過ぎし朝の小紋染め
眠れぬ夜庭の鈴虫音を競う
太鼓聞き独り黙して菊作る
鮎落ちて木曽端然と澄めるなり
山宿の鳴く虫とゐる湯殿かな
この丘も勝者となれりあわだち草
啄みの澄みて響けり秋闌ける
また一羽つづく木の間のめじろ道
何はあれ仏に告げよ三井の月
白髪の老母を照らす紅葉かな
ひともとの紅葉燃え立つ馬篭径
久闊を杯に事寄す夜寒かな
母の手に思い重ねる吊し柿
まっすぐの煙田にあり秋の暮
滅びゆく発句辿りて秋の風


冬・新年(21句)
堂閉じて蔀にかゝる落葉かな
震えつつ餌に擦り寄る仔猫かな
落葉して家並現わる散歩道
寒鮒を酒の肴に交わす猪口
野佛に吹き寄せられし落ち葉かな
風花や大河隔てゝ国ふたつ
残り菊摘み集めけり雪催ひ
故郷の夏打詰まりし蜜柑箱
落柿舎へ畦伝ひゆく小春かな
櫨並木坊主となりて歳の暮れ
寒月や地にびっしりと鉄軌道
早朝のかしわ手響き淑気かな
年あけて変革多き紙面かな
山眠り太古に還る木曽の冬
寒夜月おもひを送れ烈震地
鈴掛けのねぐら追はれし寒雀
どんど焼く声も流れて雪の宿
雪の飛騨蛙神社か芭蕉の碑
もう母にとどかぬ電話雪降れり
蝋梅や黄一輪の凍え咲く
春を呼ぶ裸の群れの滾りかな

第3集 完